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本多 清の南三陸ものがたり

南三陸 ”福幸の郷“便り 「ササニシキの復活が意味すること(その2)」

南三陸 ”福幸の郷“便り 「ササニシキの復活が意味すること(その2)」

●地域を結び、未来を育んだエースの悲運
ササニシキは、1963年に宮城県の古川農業試験場で誕生した品種です。当時、都会は高度経済成長期の真っ只中でしたが、農村地域ではまだ昔ながらの暮らしが続いていました。田植えは手作業でやるのが当たり前で、田植えの季節は学校も休みになり、集落中のみんなが家族総出で田んぼに出るのが慣わしでした。田んぼはお米でだけでなく、多くの生きものを育むと共に、人と人を結ぶコミュニケーションの場でした。そして、地域の共同作業の中で未来の人材である子どもたちを育む場でもありました。

田んぼが地域の絆を強め、未来の担い手を育んでいた時代。水田稲作が始まって以来、永く続いてきた時代の「最後の一幕」に、次世代を担うエースとして生まれた品種がササニシキだったのです。

  • 復活に向けて阿部さんが丹精こめて育て、田植えの日を迎えたササニシキの苗。手植え時代の苗と同じぐらいに大きく丈夫な苗づくりが大切な第1歩です。

手植え時代の農家にとって、ササニシキは豊穣を約束する救世主のような品種でした。苗を1本植えると、成長と共に茎が20本、30本と株分れし、稲穂には多くの籾をつけて豊かな実りをもたらしてくれました。腰を痛めながらの田植え作業の苦労に、これまでになく応えてくれる品種だったのです。

そのササニシキが誕生してから6年後の1969年、自主流通米制度が始まりました。それまで政府が一元管理していたお米の流通を、一部の良質な品種に限り、政府を通さずに卸業者などへ直接販売することが認められたのです。それまでは単に「米」という商品でしかなかったものが、東京など首都圏の消費者を中心に、特別においしいお米「ササニシキ」として認知されるようになりました。今でいうプレミア米として、ササニシキは市場からも脚光を浴びる黄金時代を迎えたのです。

しかし、その黄金時代は長くは続きませんでした。その背景となったのが、自主流通米制度と同時に始まった減反政策です。一定の割合で田んぼの作付け面積を規制し、生産量を調整しようとするものです。この減反政策への対策として、農家は面積を減らされた分の減収を、面積あたりの収穫量を増やすことで賄うようになったのです。おりしも田植え機が普及して作業効率が上がり、促成した小さな苗を密植することが可能になりました。その小さな苗を農薬で雑草や病害虫から守りつつ、即効性の化学肥料で急成長させる近代農法が普及していったのです。

  • 今回のササニシキ栽培での「秘密兵器」がこの有機アグレット844という有機肥料。初期の成長に必要な肥料成分が速やかに作用するため、有機稲作農家にとても重宝されています。なぜか東北地方では販売されていないため、地元のJAに無理をお願いして取り寄せていただきました。
  • 米ぬかが分解する際に発生する有機酸の作用で雑草を生えにくくする目的があります。

ササニシキは、この近代型の農法とはまったく相性のよくない品種でした。手植え時代は大きく育てた苗を一本ずつ植えていましたが、機械化された田植えでは小さな苗を何本も束にして植えます。密植されて風通しの悪くなった稲株には病気が蔓延しました。混みすぎた稲株は日当たりも悪く、光を求めてひょろひょろと背だけが高くなり、実りの時期には稲穂の重みに耐えられずに倒れてしまうようになりました。倒れた稲穂は収穫作業が難しくなるだけでなく、稲穂が水を吸ってお米の品質をも悪くしてしまうのです。

このように、農業の近代化で生産効率が飛躍的に高まる中、農家は次第にササニシキを「おいしいけれど作りにくくて厄介な品種」という目でみるようになっていきました。そして1993年の大冷害をきっかけに、ササニシキはとうとう見限られてしまったのです。

かつて宮城県の農家の暮らしとプライドを支えた品種でありながら、「栽培の難しさ」ゆえに見捨てられていったササニシキ。それは農業に限らず、「近代化」という歴史の中で私たち日本人の多くが置き忘れてきてしまった大切なものを表しているように思えます。

●「未来の種プロジェクト」が目指すもの
「米ってのはさ、工場でできるものとは違うんだよ。田んぼだって、農家が一人でできるもんでない。村があって、いろんな考えの人が暮らしていて、寄り合いがあって、共同作業で集落が維持されて、はじめて米が作れるんだよ。そういうことも含めて食べる人が理解してくれなかったら、米は作り続けていけないのさ」

阿部さんが苗を育てながら語った言葉が印象的でした。代々この地で農業を営んできた阿部さんは、次第に地域の若者が少なくなり、将来の担い手がいなくなっていく状況を憂いながら、どうすれば地域の未来を担う農業が切り拓けるのか震災前から常々考えていたそうです。

  • 最新の有機農法(*)により見事に復活し、実り豊かな穂をそろえたササニシキの田んぼを見守る阿部さん。郷土のプライドの再生をかけた「農のサムライ」の勇姿です。

農業の近代化は農産物の生産効率を高めましたが、一方で農業に必要な人手も減らしました。田んぼは「米を安く、簡単に、大量に生産する」というただ1つの機能だけで評価されるようになり、多くの生きものたちを育むと共に、地域を結び、人を育てていた様々な役割と価値は省みられなくなってしまいました。いわば「近代化が招いた田園のリストラと価値の喪失」です。

農業の近代化は、果たして本当に農村や私たちの食卓を豊かにしてきたのでしょうか。阿部さんの言葉は、そんな問いにも結びついていると思います。そして、本来は素晴らしいポテンシャルをもちながら、近代化という時代の変化にうまく対応できず、誤解され、姿を消していったササニシキの〝不器用さ〞と、東北の被災地がたどってきた歴史の道は、どこかで重なっているようにも思えます。

「未来の種プロジェクト」で取り組まれているササニシキの復活は、単に「昔のおいしいお米のリバイバル」を目指すものではありません。農業分野、通信分野それぞれの最新の技術と知恵を駆使しながら、人と人を結び、共に育みあう舞台としての地域や田んぼを再生していこうとする新たな時代への挑戦です。そして、この取り組みが実現されていく「物語」に不可欠な登場人物、それが、このサイトを訪ねてくださった皆さんなのです。

  • 苗箱から田植え機に移す作業です。苗箱の中でぎっしりと張られた根が、田植え後の田んぼでの苗の定着を助けます。
  • 田植えの直後に、米ぬかで作ったペレットを扮さん機で撒きます。
  • ササニシキの大きな稲穂(向かって左)と、従来農法のひとめぼれ(同右)の稲穂を見比べて相好を崩す阿部さん。籾粒の数は1.5倍ほどの違いがあります。秋の収穫がとても楽しみです。

*(注釈)この場合の「有機農法」とは、JAS法における有機農産物の認証取得とは直接の関係がありませんが、JAS有機認証基準に準じた手法による農法を指しています。栽培された農産物(ササニシキ)は、農林水産省のJAS表示ガイドラインに従い、「栽培期間中 化学農薬 化学肥料 不使用」と表示される予定です。