docomo X AMITA 未来の種プロジェクト 〜南三陸町 森・里・海 ものがたり〜

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本多 清の南三陸ものがたり

南三陸 ”福幸の郷“便り 「ササニシキの復活が意味すること(その1)」

南三陸 ”福幸の郷“便り 「ササニシキの復活が意味すること(その1)」

「これ、本当にササニシキなの? しかも、無農薬なの?」
未来の種プロジェクトで栽培中の田んぼを見学に来た人が異口同音に語る言葉です。素人ではありません。プロの農家、それもかつてササニシキの栽培で苦労してきた経験をもつ人ほど、信じられないという面持ちでその言葉を口にします。

  • 元気に育っているササニシキの田んぼを眺める阿部さん。葉の色が周辺の色に比べて鮮やかな緑を持っているのが判ります。

東北の稲作農家がイメージするササニシキとは、ひ弱で病気になりやすく、農薬漬けでどうにか生命維持ができるような「頼りなくて厄介な品種」といったものでした。ところが、目の前に広がるササニシキの田んぼは、葉は青く輝き、稲株も太くたくましく、まるで野生のススキの根株のような、荒々しさすら感じさせる勢いで育っています。

  • 田植えから一月あまりが経過した7月中旬のササニシキ。まだ勢いがなく、周囲の農家が「阿部さん、気の毒だね」と心配そうに話していたころです。
  • それから2週間ほどが経過した7月末のササニシキ。まるでススキの株のように勢いを持った姿に誰もが「これササニシキなの?」と驚かれていました。

無農薬でのササニシキ栽培技術の実証田の担当を申し出てくれた阿部さんも「本当にこんな風になるとはなあ」と、感慨深そうに語ります。
そして、こう続けます「でも、これこそがササニシキだったんだよなぁ」と。
今回と次回は、このササニシキというお米について、少し詳しく紹介させていただきます。

ササニシキという品種のお米を食べたことはなくても、名前ぐらいは多くの人がよくご存知だと思います。かつてはコシヒカリと並んで「二大横綱」と称されるほどの人気銘柄品種でしたし、東京など首都圏では、むしろササニシキのほうが「特別においしい品種」としての地位をコシヒカリよりも先に確立していたのです。
全盛期には宮城県内の田んぼの8割でササニシキの生産が行われていました。
そして、ササニシキが生まれたのは南三陸町からも近い古川市の農業試験場。
宮城県の農家にとってササニシキは「郷土の誇り」でもあったのです。

でも、いまやササニシキは「幻の米」とまで呼ばれるほどに生産量が激減してしまいました。今でも細々と栽培が続けられていますが、ほとんどが農家自身かその縁故関係者の中で消費されているため、市場で見かけることは滅多にありません。

  • 田植え前の苗作りの様子。丈夫な苗にするために葉をしごいて刺激をあたえているところです。
  • 大きく育てた苗での田植え作業。通常の田植えよりずっとまばらに植えるので、一見とても頼りなく見えます。ウミネコがのんびりと餌探しをしています。

このようになってしまった理由は、「ササは作りにくいから」というものです。
つまり、栽培が難しいあまり、収穫量の確保を優先した生産農家から見放されてしまったのです。決して、市場での人気を失って淘汰されたわけではありません。
むしろ今でも「やっぱり、うめえ(旨い)のはササだよなぁ」と多くの生産農家の方が懐かしそうに語ります。

二大横綱のもう一方の雄、新潟を主産地とするコシヒカリと、東北のササニシキはお互いに好敵手同士でした。共にとてもおいしいお米なのですが、その味わいの個性はまったく対照的だったのです。もちもちとした粘りの強い食感と甘みが売り物のコシヒカリに対し、ササニシキは口の中でほぐれやすく、のどごしも滑らかな食感と、いかにも「米の飯」らしい豊かな香りが人気でした。いわゆる「銀シャリ」の象徴的な存在だったといえるでしょう。その特性から、今でも、こだわりの江戸前寿司職人の中には「ササでなきゃあ俺の寿司は握れねえよ」と語る人がいます。

とくに和食のおかずとの相性がよく、おいしいおかずを指して「ご飯が何杯も進む」という言葉は、ササニシキにこそ当てはまるものでした。一方、粘りや甘みが強いコシヒカリは、お米自体はとてもおいしいのですが、逆にそう何杯も食べられるものではありません。日本人の食生活習慣の変化もあるでしょうけれど、お米の消費量が年々減っているのは、このコシヒカリ系統のお米の味わいの特性が影響しているのではないかとも感じています。

栽培が難しい、とされながらも根強い人気を誇っていたササニシキですが、大冷害の年となった1993年に、ほとんどのササニシキ栽培農家が収穫を激減させる大打撃を受けてしまいました。いくら人気があっても、収穫を得られなければ農家の生活がなりたちません。この年を境に、東北の米農家はいっせいにササニシキを見限り、「ひとめぼれ」などのコシヒカリ系統の品種に切り替えてしまったのです。

かくして「幻の米」となってしまったササニシキは、コシヒカリのように優れた系統品種も残すことができず、そのおいしさも「昔の語り草」となっています。
生活のためにやむを得ず「郷土の誇り」のササニシキを見限った多くの農家は、ある種のトラウマのような感情をササニシキに対して持っているようにも思えます。

「被災地の復興に向けて、ササニシキの復活を、それも、完全無農薬でやる」
そんなアミタグループからの提案は、普通の農家の感覚では「無茶にもほどがある」
といったものだったでしょう。だから、冒頭の言葉のように、実証田を見学に来た農家の方が異口同音に「これが本当にササニシキ?」と驚くのです。

次回は、ササニシキが悲運の道をたどる原因となった「作りにくさ」の誤解を解きながら、日本と、そして東北のたどってきた時代の流れの意味を考えてみたいと思います。